トン先生のコラム  徒然 その5

5 森 信三(もり のぶぞう)さんの本
 最近読んだ本です。"修身教授録"、"真理は現実のただ中にあり"の2冊ですが、この本は皆様にも是非読んで欲しい本なのでご紹介致します。今年の僕の読んだ本の中でも、北尾吉孝氏の"何のために働くか"に続く素晴らしい内容の本です。少しですが内容を紹介しておきます。

読書は精神の食物であるから、精神の食物が欲しくなくなったとしたら、その人は精神的に瀕死の病人と言ってよい。

一日読まざれば、一日衰える

人生の三つの肥やし
1、 朝の挨拶は人より先に
2、 腰骨を立てる
3、 義務を先にして娯楽は後にする

幸福というものは幸福を願ったらかえって与えられない。もっと他の事を願ったらその報いとして与えられる。真の幸福は人を幸せにすることによってのみ与えられる。

人間の内的生命の強靭さの程度は、一応、その人がどれほどの読書欲を持っているか否かによって測ることができる。

躾(しつけ)とはそのことの意味や価値が十分分からんうちに、形の方から身につけてゆくことを言うのです。そしてそうするとやがて意味も分かってくるのです。

道徳的判断力は、しつけという土台の上に置かないと空転してしまって、なかなか実行に結びつかない。

しつけの根本:1、朝晩の挨拶 2、返事 3、履物をそろえる

家庭教育において、子供の気持ちを良く察する親になることが必要である。そのためには怒らぬ親になることと絶対に暴力を振るわない親になることである。

戦後の教育は、正しいことはだれが言うても正しい、正しくないことはどんな人が言うても正しくないということをはっきり主張できるような強さを持った人間を作らなければならないということになった。

朝の挨拶はまず親からする。民主道徳は物の分かる人から先にやる。特に相手を教育する責任のある立場の人は、相手の心の窓を開くために先にするのである。

人の偉さは、人が評価するものであって、地位、肩書きは一向にあてにならない。地下水的真人になろう。

教育の原点は、"この二度とない人生をどう生きるか"という人生に対する根本態度の確立である。

自己運命とは、自分の出来る範囲で、自分のしなければならないことをやりぬくことである。

人間の生命は自己を超えた絶大なるものによって与えられ、かつ支えられているということです。つまり、それによって生かされているということです。

救いと悟り:自分が救われておるということを知るのが悟りである。

人間というのは年とともに次第に忙しくなるものだ

人間は生まれると同時に、自覚が始まるわけではない。それどころか人間が真の自覚を発するのは、人生の三分の一どころか二分の一辺まで生きないと出来ないことのようです。そしてここに人間の根本的な有限性があるわけです。

人間の知恵というものは、自分で自分の問題に気づいて、自らこれを解決するところにあるのです。教育とはそういう知恵を身につけた人間をつくることです。

人生は2度とない。

謙遜という徳は、元来対人的なところにその本質は無くて、その人がどれほど心理とか道というものと取り組んでいるか否かによるものだと思うのです。

人間というものは、情熱を失わない間だけが、真に生きているということである。
自分の全力を出し切って生きれば、死に臨んでも"まああれだけやったんだから、まずこの辺で満足する外あるまい"と思うものである。

世の中は正直

平常心是道



 いかがでしょうか?まだまだ心に刻みつけ、日々実践していかなければいけないと思われる言葉が沢山あるのですが、ここにほんの一端を紹介させて頂きました。ご興味のある方は一読なさると良いでしょう。ご参考にして頂ければ幸いに思います。(2007.9.9)
 

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