トン先生のコラム 徒然 その6 |
1 医者になって25年 | |
*医は仁術=思いやりの医療 私が形成外科、美容外科を志したのは、もう25年も前になります。愛媛大学を卒業し、何科を選ぶかに際し、色々考えて、手先も器用であったので形成外科を選択しました。その頃は形成外科を志す医学生はあまり多くなく、人気もさほどありませんでした。今の人気が嘘のようです。 自分の将来を考えての私の当時の考えはこうでした。 病気を治して健康を取り戻し、健常人と同じように社会生活を送れるようにする医学が主流なのだけれど、きっと健常人がもっと健康で、社会生活を楽しく送れるように手助けできる医学も必要なはずだというものです。 そして、その考え方のもとに形成外科を選択しようと思ったのですが、果たして僕の考え方は正しいのだろうか?この考え方がこれからの社会に受け入れられるだろうか?と学生の身であるがゆえに心配になりました。 そこで、6年生の夏休み、地方大学の一学生の身分にもかかわらず、日本形成外科の草分けであった今は亡き大森清一先生に会ってお話を伺おうと思い立ったのでした。先生に直接、何回も電話をかけて、"あなたもしつこいね!"と言われながらも、やっと一度会って頂けることになりました。 警察病院には朝6時前に行き、先生のお話を聞いて、一日ではありましたが、沢山の手術も見学させてもらい、本当に親切にして頂きました。そして、僕の考え方は概ね正しいだろうというご意見を頂き、形成外科を志すことを心に決めたのを今でも鮮明に覚えています。 ただ、"警察病院に来たいなら一般外科を習得して来なさい"と言われました。でも、その頃僕がやりたかったのは、何を置いても形成外科だったので、結局、東京女子医大形成外科に入局させて頂くことになりました。 東京女子医大形成外科のカリキュラムとしては、3年目に外科を研修するというのがあって、都立府中病院外科に派遣され、そこでずいぶん手術、検査などをさせてもらい、外科の専門医も取得することが出来ました。その後形成外科専門医も取得して、縁あって金沢に移り住み(ワイフは金沢出身の形成外科、皮膚科医)、金沢大学整形外科で2年間勉強させてもらった後に、金沢の地で開業することとなったのです。 ここで僕が何を言いたいかというと、形成外科、美容外科を生業にするにはきちんとしたジェネラルな外科の基本の考えを習得した上で行った方が良いということです。 大森先生がおっしゃったことの意味を、今更ながらに、本当に大切なことを教えてくれていたんだと心から先生に感謝しています(もちろん当時の私にはその意味が分からなかったのですが・・・) 昨今、医学部卒業生の形成外科、美容外科、皮膚科の人気が高まっていると聞きます。その人気の根底には、"ちょっとやればすぐに習得できるし、開業もしやすいし、お金も儲かりそう"という安易な気持ちが含まれているような気がしてなりません。 形成外科、美容外科に携わって25年、様々な手術を沢山させてもらっての経験から申し上げると、そんなに安易に形成外科、美容外科を選んで欲しくないという気持ちが強くあります。そのくらい難しい科であると思います。 "医は仁術=思いやりの医療"をいつも心していないと足元をすくわれやすく、特に美容の手術では、患者様の要求に答えることは、微妙なところで大変難しい(このことは臨形の先生方にはよく分かってもらえると思います)ですし、いつも、この手術をした場合、本当にその人に為になるのだろうか?と自問自答し、今までやってきたのが実情です。 手術は出来るが、その手術で本当にその人の幸せに貢献でき、そして、20年、30年に渡ってこの方をフォローしていけるだろうかと、ここ10年は特にそう思うようになりました。 年間定期手術件数は毎年1000件を超えます。外来一日平均人数も年間を通じて160〜180人で、日々本当に忙しいのですが、いつもそう思いながら手術、外来診療をこなしています。 当クリニックの基本方針は"患者様の健康と幸せを願って"の治療です。それに反することが少しでもあると手術はしないことにしています。そうやって、開業16年目ですが、訴訟も無く無事ここまで来れました。 形成外科、美容外科を生業とするなら、他の科以上に、患者様への思いやりの心をきちんと持った、絶対的真面目さの上にたった医療が必要と思われるのです。 拝金主義がもたらした世界金融恐慌。 今、世界は100年に一度の大恐慌とさえ言われる不況の真っ只中にいます。この原因を作ったのがアメリカ発のサブプライムローンではあるのですが、その根本は、お金さえ儲ければ勝ち!自分さえ良ければ良い!という身勝手な人間の欲望であることは明白です。 結局、医療も同じことだと思うのです。 患者様に対し思いやりの治療(医は仁術)をしないと長続きせずに破綻してしまいます。反対にきちんとした思いやりのある治療を行うとその事業は長く続き、お金も後から付いてきます。これは東西、時代を問わず真実だと思います。 今年で51歳になりました。医者を志したのが中学一年でした。 今、僕はこの医者という職業を天職だと思っています。そう思うにはやはり医者になって20年はかかったと思います。10年経ってやっとまともな医者の始まりです。さらに10年やって一人前というところでしょうか。今後も生涯現役主義で行こうと思っています。それはなぜか?この仕事が大好きだからです。一生懸命好きなことをして、患者様に有難うと言ってもらえることが一番嬉しい。 趣味は色々あります。ゴルフ(月2回くらいのラウンドです)、スキー(友人と一緒に冬には必ず野沢温泉)、読書(きちんとした本を年間約100冊読んでいます)、食べること(寿司、割烹、天ぷら、フレンチ、イタリアンなんでも大好きです)、ワイン(毎晩、晩酌はワインです。大好きなのはムートンロートシルト)、語学(英語、イタリア語、フランス語、記憶力を鍛えるのに役立っています)、ウォーキング(通勤はいつも歩きです。一日1時間歩きます)、仏像、お寺、絵画、美術館巡りと様々ありますが、やはり形成外科の診療(特に手術)が一番好きなのだと思います。 仕事を一生懸命やることで、患者様のお役に立つ、ひいては微力ではありますが社会に貢献しているということになるのでしょう。(ロータリーの職業奉仕の精神) 朝、5時前に起きて小1時間筋トレします。徒歩通勤(一日1時間)です。週4日は歩きます。これは40歳から始めましたのでもう10年になります。40歳になって、体の衰えを感じたことと、健康を維持することが、良い診療に結びつくという考えで始めました。これも今後も続けていきたいと思います。 それともう一つ。 11年前から始めたことですが、インターネットの世界で、バーチャルホスピタル(プライマリーネットホスピタル)を立ち上げ、友人の各科の先生達の協力を得て、全国から寄せられる医療に関する無料相談への回答を続けています。ちょっと医者に聞いてみたい質問が全国から寄せられます。海外に赴任している日本人の方からの質問も来ます。"トン先生の何でも相談室"と言います。毎朝7時にクリニックに到着して、パソコンを開き、迅速に回答しています。これは僕のライフワークと考えていますのでこれからも続けていこうと思っています。これも、職業奉仕の一つとして、少しでも社会に貢献しようという考えで始めたことです。 人間の一生はあっという間の短いものだと感じています。というのも30歳から今までの20年間はあっという間に過ぎたからです。で、これからの20年もあっという間に過ぎ去るとすると一瞬、一瞬が本当に貴重に思えてなりません。 一生懸命、自分が生を受けたことに感謝し、また、自分の周りの人に感謝して一日、一日を大切になるべく無駄のないように生きていたいと思っています。 最後になりましたが、僕の好きな言葉を書いて終わりにします。 1、 中村天風 氏 ”今日一日 怒らず 怖れず 悲しまず 正直 親切 愉快に 力と勇気と信念を持って 自己の人生に対する責務を果たし 常に平和と愛を失わざる 立派な人間として生きることを 厳かに誓います。” 2、 森信三(のぶぞう)氏 「人間の一生」 ”職業に上下もなければ貴賤もない。世のため人のために役立つことなら何をしようと自由である。 しかし、どうせやるなら覚悟を決めて十年やる。すると二十から三十までは一仕事できるものである。 それから十年本気でやる。すると四十までに頭をあげるものだが、それでいい気にならずまた十年頑張る。すると五十までには群を抜く。しかし、五十の声を聞いたときには、大抵のものが息を抜くが、それがいけない。 "これからが仕上げだ!"と、新しい気持ちでまた十年頑張る。 すると六十ともなれば、もう相当実を結ぶだろう。だが月並みの人間はこの辺で楽隠居がしたくなるが、それから十年頑張る。すると七十の祝いは盛んにやってもらえるだろう。しかし、それからまた十年頑張る。 するとこのコースが人生で一番面白い。”(2009.4.1) |
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10 50歳になって思うこと |